★第2のターニングポイント
そこでの5年間は楽しいの一言です。とんとん拍子に第2級無線通信士の資格を取得しましたし、第1級無線通信士はあと3科目で免許がもらえました。第1級の資格をとってから望みであった外航船に乗ろうと考えていたのですが、その間しばらくアルバイトを社会勉強のつもりですることになりました。やったことのないセールスを始めたのです。
何事も社会勉強と割り切っていましたから、何でもやりました。最初は大きなお米屋さんで、工場や病院周りのお米の受注セールス、それから雑貨の受注など何でもやりました。面白いようにお金が儲かっていきました。これなら、自分でも何かできるかも知れないと、独立することを考え始めたのです。もう船のことはどこかへ飛んでいました。
一番最初に作った会社が資本金50万の三幸商事、学生をバイトに雇っての雑貨の販売が手始めであった。これも何とか軌道に乗って形になっていった。それからも、仕事の形態や社名を変更しながら少しづつ事業の拡大をしていった。
最終的にたどり着いた事業の形態は、展示販売の方式だ。会社の資本金は4千5百万にふくれあがっていた。利益率のいい宝飾美術品関係が主な商材である。時はちょうどバブル期にさしかかっていた。
ここでも、独特の方式を編み出した。先ずは小さなパーティで顧客をつかまえて教育をしていく。この小パーティでは販売はしない。つぎに本展で大きく販売するのだ。しかし、ここで終わりではないのだ。この本展の後が勝負なのだ。本展の後にもう一度小パーティを開いて、顧客の再教育をはかるのだ。ここでは、心理学的な手法を取り入れて、グループカウンセリング的な教育法を採用した。当時こういう販売方式をとっていたところはたぶんないだろうと思っている。
本展でも工夫をした。重要な顧客にはバンケット方式で接待をして、そこにイベントとして占いを採用した。神秘性と個人を結びつけて唯一感を強調したのだ。この占いもいい加減ではいけないので、最初はプロの占い師を採用したのだが、営業形態にあった占いにするために自分で研究した。
実はこれにはまってしまったというのが真相だ。占いを研究していくうちに、実はこのバブル経済という運勢が、いずれ終焉をつげてその後日本経済は手ひどい目に遭うという予想を抱くようになった。それが日ごと確信に近い形で僕を悩ますようになった。
何故かというと、やっている仕事の内容はバブルでしか成り立たない営業形態だからだ。どうやってつぎの事業転換を図るか?このまま行けばいずれ大きな損失を被って立ち直れなくなるに違いないと信じ始めていた。それでついに決断をした。一度会社は解散をすることにしたのだ。そして、事業を継続してやりたいものには、その道を選択するようにした。僕は、とにかくこの一線からは退く決意であった。
これが僕の第2のターニングポイントでした。 |