私(宣丞)の家庭観
家庭というのは、人によって価値観が一番現れるところでもあります。だから、こういうテーマを扱うのは難しいのですが、あえて、自分が持っている家庭像というものも明らかにしておく必要があると思います。
家庭から受けるイメージというのは、「安らぎ、憩い、楽しみ、快眠、癒し、健康、社会の基地、夫婦、語らい」いろいろなキーワードが出てくるでしょう!
私は家庭というのは、”歴史”ととらえています。だから家庭には、様々なそれまでの家族の歴史性や、先祖からの受け継いできたものなどが一挙に、または少しずつ現れるところだと思っています。
だから家庭というのは、親子孫と三代で家庭と考えます。もちろん親子孫三代が同居しなければならないなどというように決めつけた考えはありませんが、この親子孫三代が連係プレーをとっていてこそ家庭と名づけることができるのではないかと思うのです。
実際に家庭というのは、事件の連続であるということです。事件のない家庭などというのは皆無であるはずです。私の家庭は「しあわせ」です。などといっているような家庭でも、様々な課題に埋もれているはずです。それを解決しないで放っておくと、後で大きな問題となってしっぺ返しを受けるようになります。
些細な出来事というのは、どうしても後回しにしてしまうのですが、それが命取りになることだってあるのが現実です。
最近もそんな事件が起きたばかりです。美術系の大学を目指す受験生を持っている我が家では、受験勉強が大変だからと、少しナーバスになっているのだろうと子供を甘く見ておりました。子供の方は様々なサインを投げかけていたのですが、それをちゃんと受け止める余裕が親の方になかったために、受験願書提出の直前になって、ストライキを起こしたのです。デザインから油に変更したいと言い出したのです。親の方は”青天の霹靂”!その時「やられた!」と思いました。
「デザインの神様は僕に働いてくれない」僕には油が本当のやりたいことだと今わかったというのです。さあそこからが親子の失われた半年間を取り返す戦いが始まったのです。人の心の動きをちゃんと見てこなかった付けがきたのです。
そういえば、同じようなことが僕の学生時代にも起こっていたことが今にして思い出すのです。自分の進む方向を親には知らせず勝手に変更して学生運動に身を投じました。そこから親子が向き合うようになるには、数十年の歳月が必要になりました。
ここにも、家族の歴史というDNAが働いていることがわかります。ただ早めに修正をすることができたので、彼は私のような轍を踏まないですむことになりそうです。親から子へ、子から孫へと人生の積み重ねた内容が、様々な形で連結され事件として現れ、良かったことは増幅され、悪かったことは修復されてと、螺旋の如くのぼっていくのではないかと考えているのです。
そんな時系列で見ていく家庭像は、実際は空間という現代の中でそれが表現されてくるので、様々な問題は、夫婦や親子だけで解くわけにはいかないのです。時にはおじいちゃんやおばあちゃんに出てきてもらわなければならない課題だってあるのです。そう見ていくと家庭というのは平面体ではなくて大きな立体画像3D画像ということがよくわかります。
もちろん、こういう諸問題の解決にコーチングはフルに活用しています。時には私がコーチに、時には妻がコーチになったりと、または家族全体でグループコーチをしたりと、コーチングは我が家になくてはならないスキルとなっています。 |